静かな悪

ある「子どもの」活動の引き継ぎ 

「みなさんすばらしい姿勢で演奏できましたね。」
「大変よい態度でした。感心させられました。」
「とても上手な演奏でした。」
  
教師とはあらゆる手法を使います。
 
「何やってんの?」
「ちゃんとしろ!」
「どこ向いてるの!」
「足をそろえろ!」
 
前日の指導です。置き換えます。
 
「みなさんをすばらしい姿勢で演奏(させることが)できました。」
「(先生の言うとおりにやってくれて)大変よい態度でした。感心させられました」
「(先生の指示通り)とても上手に演奏できました」
 
ですから「指導お疲れ様でした」となります。そうした流れを汲み取れずに「心がジーンと熱くなりました」なんてどこから出てくる言葉でしょうか?
 
自分で考えて行動することを許されず、叱られながら、指示通りに行動することを要求され、その通りにできると「お褒めの言葉」が与えられます。無垢な子どもはそれを疑いません。でも、その手法は次第に腐っていきます。
 
悪とは静かで見えにくいものなのです。
 
おそらく9割以上の学校がこのようなものでしょう。授業を「学び合い」にしようともこういうことを変えられなければ、未来など変わるはずがありません。「学校」とは子どものためのものなのです。