上位の子ども

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/aki-kichi/20100201
 
「ちょっとおいで。」
うちのクラスの最上位の子を呼んで
「どう思う?」
って聞いてみました。
 
「その気持ちよく分かる気がするよ。」
「どのへんで?」
「あのね。始まってからすぐに簡単に「分かんない」っていうのよね。」
「それで?」
「こっちもいろいろ考えてるし、いつでも説明できるわけじゃないしぃ」
「それで?」
「いろんな分かんないがまぜこぜだからちょっと大変なのよ」
「心が折れそうになることもあるの?」
「まあね。でもおもしろいからがんばれるけどね。」
「心が折れちゃわなでこなせていけるのはどうしてなの?」
「やっぱ分からせるたときの快感だと思う」
「自分の勉強は?」
「ああ、まあみんなとやることが楽しいね。」
「どうすればこの子は救われると思う?」
「やっぱね。これね、周りが悪いと思うよ(うちのクラスも)もうちょっと家で予習するなり、分かんないことをはっきりさせてくるべきじゃないかな。」
「そううすれば救われる?」
「楽に勉強できるようになると思うよ。」
 
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「って○○ちゃん言ってたよ。ねっ! 苦しみながら勉強しちゃいけないよね。それぞれがどうすればいいか分かるよね!」
ってうちのクラスの子に言っておきました。
 
最上位の子の学習は私とほぼ互角です(人間性は私より遙か上です)
そうなると、学習の立ち位置は難しいのでしょうね。
全体の整合性を取りながら、中位から下位まで様々な子どもが押し寄せられちゃたまったもんじゃありません。子どもをミニティチャーにしてはいけません。
 
もう一つ。子どもには次のように話しました。
「何度も言うけれども「学び合い」は、「教える」→「教えられる」じゃないからね。」と。
よい「学び合い」は「ディスカッション」です。誰も苦しみません。