人に示すということ

公開に向けた概要の印刷半日前に、
 
「こんなことを入れ込んでおいたから。」
 
私のファイルから引っ張り出し概要に「基礎学力向上」の内容を勝手に入れ込んでいただきました。
 
そもそも部活動に力をいれるあまり、できない子どもが切り捨てられていることに対して、学校が動かないから我々教師で立ち上げたプロジェクトです。そして、その内容は単に基礎学力の向上ということをめざしているわけではありません。子どもにとって教室での学習に満足できることが大事です。その為の支援プロジェクトです。
 
一度もその取り組みを見に来ないのに、どうしてその中味が書けますでしょうか。誤ったことを、しかも勝手に追加されて非常に腹が立ちます。
 
人に示すということはそれなりの「責任」があります。うわべのことを文字にして人に示すべきではないことを先日の講演が教えてくれています。
もしも、誤った考えと取り組みを示せば、それを追試するであろう数百人の子どもが、または学校がブレを起こします。ですから心の中で何度も何度もこれで良いのか、本当によいのかと確かめながら書いています。
 
どんなに格好のよい、体裁のよく整った要項でも、それが本質とはずれた内容であるならば、それは「罪」です。本校の概要にはアンケートの結果も、データーも示されておりません。なぜならそれは書く側にとっていかようにも都合のよくデータを示せるからです。多くのデーターは客観ではなく、主観に基づいて示されています。
 
印刷前に概要の1ページを大幅に書き換えなくてはなりませんでした。あえて公開ではその内容には触れません。まだ、そのプロジェクトもよちよち歩きです。でも、その志は書きました。担任として学級の子どもを育てるのではなく、学校として子どもを育てるべきだということです。