気長に
私は部分的にではありますが「ピアジェ」の発達段階説を支持します。
臨床的にです。これまでの2万時間近く授業をしてみて分かることです。
「学び合い」は、佐藤学さんのいう「背伸びとジャンプ」を引き起こします。瞬間的には、下位の子どもの能力を引き上げます。
しかし、どうでしょう?
単元テストほどに下位の子どもはNRTでも劇的に成績が向上するでしょうか? それは否です。
それは、学力の高い子どもの認知の仕方と下位の子どもの認知の仕方がことなるからだと感じます。算数だと「できる子どもは何故できるか」ここを知らないと、「学び合い」をすることによって、下位の子どもも上位の子どもと同じような認知の仕方をしていると勘違いされるかもしれません。
子どもはその身長の伸びと同じくらい、脳の発達にも異差があります。
壁を越えた内容は、それを保持しにくいのだと感じます。上位の子どもは知をネットワークで関連づけながら学んでいることが分かります。
だからといって私は、「学び合い」が無意味だとは思いません。というよりも、だからこそ「学び合い」が必要なのだと思っています。脳が育ってきたときに、「いつでも学べる環境がある」ということが大事なのです。
これ(安全・安心に学べる環境)はある程度、脳の発達の異差が収束する高校生までは必要なことだと思います。だから、もっと基礎の段階に立ち返って、子どもが教えてくれる「学び合い」が大事なのだと思います。
焦らせる必要はないと思います。
気長に、そして楽しく。
ずっと学び続けられるように。
まあ、「1学期の自分を反省して」の話です。