学級集団の異差の壁を越えるということ

学び合いは「学力の固定化」がゆるみます。
先日述べたように子どもの能力は凸凹しています。
算数で最も下位の子どもが図形領域では最も活躍する、文章はうまく書けないけれども、詩を読む感性はずば抜けている……。数え上げれば切りがありません。
 
授業での教師の役割は、子ども空気の流れ(情報の伝達)に敏感になり、そうした子どもの姿を見逃さないことにあると思います。(もちろん完璧などありません。できるだけ努力するということです)
 
先生には何をして欲しいかを子どもに訪ねると、自分では気がつけない他の人の学びを紹介してくれ(繋いでくれ)という要求が最も多くなります。学び合いが定着してい学級では、どの子もそれぞれの持ち味があることを知っています。そして、どん欲にそれらを取り入れようとします。そして低学力の子どもを馬鹿にしないクラスができあがります。
 
 
「鍛え」も「個人を褒める」ことも、それが無ければ成立しないのではなく、あればよりよく学び合いが成立するということです。