学び合いの限界 「引っ張り下がる」

長期的なモニタリングの結果です。間違っていたら教えてください。
そして、誤解の無いように先に言いますが「学び合い」を無駄だとは一滴も思っていません
 
高度な学び合いを展開します。すると子どもの学力差は見えなくなります。相当高度な課題であっても下位の子どもは着いてきますし、話しますし、考えます。そして、その時には「分かる」「できる」ようになります。
 
「でも」です。下位の子どもはまた、ぐっと「引っ張り下がり」ます。
例えば、自分のクラスだと、確かに学び合いでその時間、単元で分数の加減が「出来る」ようになります。ところが1〜2ヶ月するとやっぱり出来なくなっています。
ピアジェ」を思い出します。子どもを詳しく観察しているとその能力にとてもバラツキがあることが分かります。ある領域の能力が未発達なところにそれを上まわる学習をしても、コップからあふれる水のようにこぼれてしまうような実感があります。
 
おそらく、「学び合い」で高得点をたたき出している学級も、問題の出し方の違いや時間の経過でかなり、その平均点も最低点も引っ張り下がってはいないでしょうか?

そうでないとしたら、自分の「学び合い」が「学び合い」になっていないということでしょう。
 
ただ、大人になっても学び続けられるという新しい社会構成を創り上げるのなら、「学び合い」は必然だと考えています。