アンチテーゼ

僕は自分の意識が芽生えたときから「あまのじゃく」だと自覚しています。みんながいいと言っていることを「本当?」って考えるし、当たり前だと思っていることを「本当?」って勘ぐります。ですから「○○すれば○○できる」なんてほとんど信じていません。ましてや「必ずできる」なんて言葉がついているものには、とんと興味がありません。
 
授業にもこうしたものがあります。例えば「分かりやすい課題設定することでどの子どもも課題解決に向かうことができる」とか「明確な板書計画で子どもの理解が促進される」なんていうようにね。
 
だからこうした命題は、授業でつぶしにかかります。授業の課題なんて僕は板書してもしなくてもいいんだけど、校内の授業研究会なんかでは、わざとかかないこともあります。
 
「黒板に書かなくても子どもは何をやっていいか分からない子どもなんていないでしょ?」
 
ってな感じで。また、計画的な板書もしません。しなくても子どもたちが授業の中味をきちんと再構成して、レポート(僕の授業ではこれがノート)を作成します。ノートを作ることが大事であって、ノートをとることが大事ではないでしょ?ってね。
 
こうしてアンチテーゼします。
 
でもね。こうやっても「中学校いくとこうしたこうしたことは通用しないので、黒板をきちんと写すように小学校のうちから訓練することが必要なんです」って反論されるんです。(これを反論というかどうかは別として)
 
こうしたことに疑問を持たないで教育を受けてきた人が大部分の教師だから仕方ないのだけど、自分と同じような子どもを再生産することが日本の未来を創ることにつながるのかどうか考えなければなりませんよね。