よく分かりますか? 答え よく分かりません。

また今年も学校評価の時期がやってきました。
どうしてこんなに愚かなことをやっているのかよく分かりません。
チェーン店がお客様アンケートをとって各お店の満足度調査をしているようなものです。こうしたことは確実に教師を疲弊させることを知らなければなりません。チェーン店のように「この店は」での評価ではなく、「この従業員は」で評価されるのですから。そんなアンケートは外食チェーンでも見たことありませんものね。
 
また、これでとてつもないお馬鹿なことが起こることを保護者は知りません。アンケートを採っている学校もそれを知っていません。
おそらく教育委員会も知らないでやっているのでしょう。
もし、これらが何を引き起こすか分かってやっているのなら、相当な「悪」です。知らないでやっているのだから、目をつぶりましょう。でもとてつもない問題が起こっているのだと考えるべきです。
話を切り替えます。
 
学校評価は子どもにも及びます。
 
「授業はとても分かりやすいですか?」
1.はい 
2.ときどき
3.よく分からない
4.全く分からない
 
さて「学び合い」の子どもはどういうでしょう?
 
「はい」という子どもは「少数」です。当然です。自分の分からないところがよく見えるんですもの。自分が分からないことを通常の授業の数倍も意識しなければなりません。全教科でそれが起こります。
「はい」と答える子どもはよほどの力のある子どもか、ノー天気な子どもか、アンケートの結果を先読みして私に気を使っている子どもです。
 
もちろん、家に帰れば「よく分かった?」と聞かれ、自分が納得しきれなければ「分からなかった」と言うでしょう。保護者は「学び合い」でも子どもは「分からない」と言います。まあ、そうでしょうね。
 
ですから、アンケートの調査をそれほど気にすることはないと思います。だから子どもの姿と結果で示せばよいのです。
 
 
 
えっ? 上の「大きな問題」が何か気になる? じゃあ簡単に。
 
金太郎飴のようにサービスがどこも同じなのはよいことすよね。
でも、そうしたお店で毎日、ご飯を食べたいと思いますか?
毎日でも通いたくなるお店ってなんですか?
 
 
学校評価とはヨーロッパのように地域参加型で学校を創るためのものです。つまり、よりよい学校を創り上げるために地域を挙げて、知恵やお金を出していくためのものです。口は出すことでは何も変わりません。学校がチェーン店になるだけです。味もサービスも。何を食べても充実しない感じのする「あれ」です。
 
学校評価も知恵を出さなければ、それはただの数字の羅列にすぎません。
もし、学校を同一サービスのチェーン店にしようと考えて、やっているのだとしたらとんでもない悪ですね。