しっとりとした「学び合い」

 学びの共同体でも「授業とはしっとりとしたもの」などと表現するように、子どものテンションが上がるような授業や元気よく手を挙げるような授業は知的な学びではない(佐藤学氏)とよく言われてきました。
 本校の実践しようとしている「学び合い」でも、ともすると元気に学び合っている姿を目にすることがあります。これは私のクラスでもよく起こります。子どもが一方的に情報を伝達しようとするときに、それは起こります。ですから、その時には一度、授業はストップして課題の確認や何が分かればよいのかをもう一度確認します。でも決して静かにしなさいとは言いません。言葉の「質感」が雑然なのですから。本格的に「学び合い」を導入していると、子どもがどのレベルの状態で学んでいるか「見える」ようになってきます。同じく子どもが話をしいても耳障りな声と安心していられる声とがあります。耳障りな声の時には、課題の解決まで到達することはありません。大抵、分からない子どもが沈黙して沈んでいます。これが続くと低学力の子どもは学ぶことを止めてしまいます。
 よい「学び合い」はなぜしっとりとするのか、それは相手の考えを踏まえて話をしているからです。相手の誤解や戸惑いを感じながら話すと自然に声は相手に合わせる声になります。それが「しっとり」の秘密です。自分の考えを一方的に伝達するときにはこれがないのです。
 もし「学び合い」で子どもに任せるときには、声に敏感になる必要があります。声が近々響くようなときには、一旦子どもの学びを止めて、子どもに相手が何で悩んでいるか、相手に分かりやすいように話をしているか言葉掛けをしてみるとよいと思います。