教育理念を持つこと

教育理念って学校長だけのものでしょうか?
 
私たち教師一人一人が毎日考えるべきことであり、土台としてしっかりとしたものでなくてはならず、そして、信念として揺るぐことなく持っているべきものでしょう。
 
でも、理念って一体何なのでしょう?
 
私はこの先100年の未来を世界を切り開くビジョンだと思っています。
 
ですから、あまり小さいことはどうでもよく感じます。あと30年もあれば、端末でかなり高度な同時通訳も可能になるでしょうし、知識は「覚えるもの」ということからかなり解放されていることでしょう。
 
少なくとも私は、そうしたビジョンを持った教師には一人しか出会っていません。高校時代の担任です。私たちのあるべき未来と、愛を語れる教師でした。
 
今の子どもは絶望的に悲惨です。自分の息子も含めて。
急速に萎んでいる日本で生きていくのですから。
そうであるならば、これからの日本は国民みんなが賢い人間にならなければ、その負荷でいずれ破綻します。回避するには「教育」しかないのです。
 
私たち教師も今の政治家のように、保護者に対して理念を語らずポピュリズムに寄り添っていてよいでしょうか?
 
もし「学び合い」をするならば、いずれこの「壁」を越えなければなりません。うちのF先生は毎日、子どもの変化を保護者に知らせることを通して、自分の揺るぎない理念を伝えています。
 
その理念が揺れ動いている限り、「学び合い」はつまみ食いで終わってしまうことでしょう。だからこそ、一緒に未来を語り合える同僚が必要なのだと思います。
 
私たち教師の背負っているものは、想像するよりもその何万倍も大きいものだと私は思い、そして悩みます。息子の生きる時代を切り開くのが私の天命だと最近考えています。ただ、それにはあまりに無力なのですが。。。