なくすということ

学校の今は全てが「飽和」です。
 
でも、まだ安全のため、信頼のため、子どものため、自分のため、地域のため・・・とどんどん入り込んできます。
 
年度当初の配布文書を見れば分かります。子どもに効率よく配布しても30分かかります。毎日、恐ろしいほどの文章が机上に乗っかっています。
 
国にも、県にも、市にも、学校にも「始めたことをなくすためのプロセス」がありませ。個人の力でそれをしようとすると「へそ曲がり」だと思われます。でも意外なことにそれを無くそうとしないのは、それをやっていて苦労している人です。
 
なぜでしょう?
 
それは説明が面倒なのです。無くすためには始める場合の何倍もの説得力ある話をしなければなりません。それが面倒だから、「今までのままでよい」となります。これは「学び合い」を始められない教師とも一致します。
 
おそらく、全国の学校の教師は、持っている能力の2倍の仕事を抱えています。それをすべてこなしているのです。ということは「質」が低いに決まっています。それを本気で行ったとしたら、毎日12時前には家に帰れません。だから「今までの通りで」が蔓延しています。子どもにも時間を与えられないから、時間短縮のために「出来る子」を使って行事をこなします。そして新しいアイディアも生まれにくくなります。
 
心ある教師は、その全てにおいて質を上げようと努力するから本当に2倍の仕事をして、身体を壊します。でも、自分の首を絞めているのは教師自身でもあります。
 
ただ私が許せないのは、その「ツケ」が子どもに回っているなのことです。