テストをするということ

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/motoryou/20100307
 
「テストの点数で良い点数をただき出さないと誰にも認めてもらえません」
 
正論だと思います。「学び合い」がどんな効力を発揮させることができるのかを試すには、子どもにも、保護者にも、同僚にもテストの点数で示すことは大事なことだと思います。
 
でも。
 
ある程度の経験を積めば、一斉授業でもテストで良い点数を取らせることに集中すれば、かなりの高得点を、下位の子どもにも取らせるはできます。現にそういう教師は実はゴロゴロいます。小学校のテストは単元ごとですから、単元を丸ごとテストに特化させれば、下位の子どもでもそこそこの点数を取らせることができます。
 
「学び合い」にしても、テストの点数を取らせることを目標にすれば、子どもの回り道は最小限に留められ、テストの点数は向上することでしょう。でも、どうでしょう? 本当にそんな教育を私たちはしたいのでしょうか? 
 
「学び合い」でも、数ヶ月後に類似問題をやったときにどれだけ定着しているかと聞かれれば、「それほどは覚えていない」ことでしょう。そんなものです。教師が気合い入れて、100点とれ、平均95点、最低点で80点それに一喜一憂すれば、「その教師の姿」に子どもは誘導され、団結を促されます。熱血ドラマはともかく、毎日をそんなテンションで学んでいたら疲れることでしょう。そして、教師が「そうではない」と否定しても子どもはテストで学びは価値づけられるものだと判断することでしょう。
 
私が「学び合い」を通して目指すビジョンは「学びの自立」です。フィンランドのようにテストなんて無くても、子どもは学ぶ価値を見出し、学び合うことができます。学び損じればリトライできる環境と時間があればいい。
 
motoryouさんが言うように、「学び合い」はトライアンドエラーそして誰もが安心してリトライできる環境を構築することが大事なのだと思います。
 
北欧は、多額の消費税と引き替えに人生をリトライできる環境を作っています。ですから誰もがいつでも大学で学び直せるのです。こうしたことによって、最先端の技術を取り込んでいこうとしています。
 
学び直せる環境があること、そして周りの人がそれをサポートしてくれること。そんな環境を作っていくことこそが、私たちの仕事ではないでしょうか?
 
テストで点数が悪かったら、「そっかぁ、分かんないところが見つかって良かったね〜、じゃあそこが分かるようにしようね」って言える方が人間幸せでしょうね。 そんな時間ない? それは1時間ごと、単元ごとに学ぶからです。単元を無くせば何度でもリトライ出来る時間はできるのです。(少なくとも算数はね) もちろん、理科の実験もリトライ!