とめはねっ!

原作ファンとして毎週欠かさずに観ています。
やたらとキャラが似ていて思わず「ニヤリ」のNHKのドラマです。
 
今週の話は、ダメだしされた「パフォーマンス書道」で、自分たちには何が足りないのかが分かったという話です。足りなかったもの、それは「思い」でした。
 
本クラスでは音楽関係の保護者の協力を得て、クラスの歌を完成させました。今歌い込みの最中です。しかし、子どもの頑張ろうとする姿はあるのですが、何も感じさせられるような姿がありません。おそらく数時間歌い込めばそれなりの感じにはなることでしょう。でも、そんなことのためにやっているのではなく、そんなレベルを求めてもいません。
 
歌を歌うことの意味とは何か? なぜ自分たちは歌うのか? どう歌いたいのか? 話し合うことにしました。
 
さて、「学び合い」はどうでしょうか。「学び合う」ことが目的化されていないでしょうか。なぜ自分たちは「学び合う」のか? なぜ「学び合い」たいのか? どう「学び合い」をしたいのか? 子どもは自分の言葉でそれを持っているでしょうか。自分のクラスの子どもはそれをまだ明確に持っていません。教師からの受け答えではなく、子どもの心からの言葉が発せられるとき、子どもの学びは昇華されるのでしょうね。
 
歌を歌うことを通して、もう一度子どもたちが自分たちの学びを振り返られるようにしていきたいものです。