「学び合い」が目的ではありません

私の授業は「学び合い」そのものが「目的」「目標」ではありません。「学び合い」は学習の方法ではなく、人としての当たり前のコミュニケーション能力です。「学び合い」では、教師はそこに「みんなが出来る」という「壁」を設定します。
 
しかし、壁を乗り越えるという克服感と学ぶ快楽は異なります。どちらが大事かと言われれば、私は後者です。だって快楽は、一生ですから。老人になっても、「みんなで」「みんなが出来る」を強要されたら、そりゃつらいです。
 
最近は、「みんなが」いることで「安心して」学習できるということを大事にしています。そして、誰かが自分に新しい道を開いてくれるといううれしさを強調しています。瞬間的な能率は落ちた代わりに、「おもいっきり」を手に入れました。
 
「あー、国語っておもしろいね〜〜〜」そんなことがそれぞれに、いろんな教科で生まれれればそれでよいと思っています。その方が幸せに暮らせそうな気がします。