「学び合い」はテストを目標にすべきではない

最低点・・・
という考え方はうちのクラスには存在ません。
それでも十分に学び合いあえています。
個人的には、「学び合い」においてテストを
目標にすべきではないと考えています。
 
その理由として。
学ぶべき目標(理由)が「テスト点数」というのは
おかしいということです。
テストなんて、学校を卒業すればほとんど意味をなしません。
「ぼくたち最低点が80点以上になるようにがんばったよねー」
これが将来の大人の「思い出」でよいでしょうか?
 
これは学力観をどう考えるかです。
テストの「知識」を学力と考えるならそれでよいでしょう。
しかし、そんなのほとんど役に立ちません。
もしも、「学び合い」がテストの点数を取ることに執着するならば
未来はないと考えています。
 
現状の「学び合い」は、集団という括りで考えます。
もちろん、私も集団で学習しています。
しかし、その中の「個」を忘れて、「並列化」する方向に力が
働いているとしたら、それは一斉授業となんら変わりはありません。
 
もしも、学習者の固定化が起こっているとしたらそれは、
教師が「個」を意識していないことが理由の1つだと思います。
「みんな」を強調するあまり「個」を消し去ってないでしょうか。
「学び合い」は「共同」であり「協同」「でなければならないと考えています。
 
テストなんてどうでもいいじゃないかな?
テストという基準がないと子どもの効力を信じられない教師には
なりたくないと思っています。最低点の話をしなくなってから、
下位の子どもはより安心して、より安定して「さらに」学習するように
なりました。
漢字1つの成り立ちを調べるのにも「おもしろいね〜」って夢中になって
調べている子どもたちを見ているとそう感じざるを得ません。
漢字がほとんど書けない子が
「先生ー。オレね、今日は8個も成り立ちかけちゃったよ、えへへ。」
 
「小学校の時の勉強、みんなでやっておもしろかったなぁ〜」
そんな大人に育てたいですね。