なぜ教師は「学び合い」をさせるのが難しいのか その2

途中までしか書けなかったので後半書きます。
 
子どもが授業をやろうとすると、一斉授業をします。
かなり「学び合い」をしている子どもでも。
子どもたちは何を「モデル」にしているのでしょうか?
1・2年生での授業は、極めて「否定している」子どもたちです。
でも、いざやるとなると、コテコテの一斉授業をします。
  
「学び合う」ということは、確かに人としての「本質」かもしれません。
しかし、複数に同時に何かを「伝えよう」とすると誰もが(子どもでも)一斉が最も効率のよい方法だと感じているのです。
 
授業に戻ります。
授業を「何か伝える」「教える」と考えいてる教師ならば、
一斉授業からは一生抜け出せないことでしょう。
だって一番効率がよいと実感しているからです。
 
でも、「何かをつまませよう」「自ら獲得させよう」と考えるなら
「学び合い」しか、ありません。
だって一番効率がよいと実感できるからです。
 
多くの教師は、授業を「伝える」「教える」ことだと考えています。
だから難しいのでしょう。
私は理由の1つとして考えています。