さて、どうしたものか

二つ眉をひそめる出来事がありました。
 
1つは犬山市の教育長の解任
2つは部活大好き教師・管理職
 
大きくかけ離れた話題ですが非常に危うさを感じます。
 
犬山市はご存じの通り、学び合いの実践を行っている地域です。
私も研修に参加させていただきましたが、
非常に高いレベルで授業・授業検討が行われていてびっくりしました。
国学力テストを実施しないことで話題を呼びましたが、結果として
民意の反感をかいました。しかし、その志は私たちの「学び合い」にも大事なことだと考えています。子どもに競争させる・させないという単純な論法に流れてしまったことが残念でなりません。
授業とは何か、学ぶとは何かをもっと掘り下げて、取材してくれればもう少し変わったかもしれません。うまくマスメディアに比較対象として使われてしまったように感じます。その意味でマスメディアの罪は思いと考えます。
 
また、来年度の教育課程の編成が始まりました。
我々はなんの為に授業すべきなのかもっと考えるべきです。
教室の横を通ると授業中にも関わらず、手を振ったりする子どもがいる
教室で、部活動の大切さを説かれてもただしらけるだけです。
授業で子どもを救えない教師に、それを救おうとしない教師は、
教師としての資質に欠けると思います。
やってもいいんです。でもそれは授業も、特別活動もしっかりとできた学校で、時間があればです。「おれがいないと」は大きな勘違いです。
 
1つは、学び合いにしても「学び合い」にしても、授業感の変化をもっと    スピーディーに広げなければ、危ないということ。
 
2つは、日本を考える前に足下さえ危ういという現実。
    理解できない人とは喧嘩しない。
    論する価値のない人とは議論しない。
 
ちょっと、これからどうしようか考えます。