残念ながら

私は授業が下手です。これは人の性質として決まっていることだと
思っています。
自分の分析だと「真面目」すぎるとことが原因だと思います。
 
しかし、教師になるべくして教師になっている人も中にはいます。
これは熱血教師ではなく、子どもの前での立ち振る舞いです。
「学び合い」なんて知らなくても、自然とそういうクラスを
作れる人です。
 
「立ち振る舞い」「声の質」そして「子どもを観る目」
 
そういう人は年齢に関係なく、いい授業が出来ます。
 
 
でも、多くの教師は教師に向いていません。
なぜならば、その動機です。
「子どもたちに教えたい」のですから。
そして、何よりも「先生に教えられることに」適応してきて、
「よい気持ちで、学校生活を過ごしてきた人」だからです。
 
この点に関しては、自分は「こんな先生には成りたくない」と
いう確たる思いがありました。
「学校の先生は自分たち(生徒)を全く分かっていない」と
地元の新聞に投書したこともあります。
 
東大のS先生に、東北の先生は悪い意味で「真面目」すぎて駄目だと
指摘されたこともあります。その通りだと思います。
周りをみても「真面目さ」故に自滅しているところが多々あります。
 
全国からみたら「なんで?」と思われることを
平気でやっているところも多々あります。
逆にやっていないことも多々あります。
 
「真面目さ」は時には毒です。
授業が下手だからこそ、「努力」していかねばなりません。
そして、遊んでいかねばなりません。
努力しないと「遊べない」自分の歯がゆさがあります。
いつもいつも自分に「遊べ」と言い聞かせていますが、
それでも無意味に子どもを叱ってしまうことがあります。
その原因は「自分」なのです。
 
今日は、「遊び」の授業です。私も遊んで来ます。