学び合いと生活科

低学年の授業研究会。
1・2年ともに選んだのは「生活科」
低学年を受け持つ教師にとって、学び合いは「恐怖」のようです。
「勝手をさせたら授業にならない」そう思っています。
(同じことを高学年の先生も言いますので、結局どこの学年でもというこ とですがね)
 
別に生活科でやろうが、かまいません。
観れば「学び合い」かどうかが一発で分かります。
 
しかし、多くの先生方にとってはそれは「見えにくく」なります。
だって、多くの生活科ではたち歩きして、「自由に」動いているように
「見える」からです。
 
「見えにくい」から「見えません」
「見えない」から「分かりません」
「分からない」から「何も言えません」
 
デフレスパイラルですね。
 
先日、書き込んだように「学び合い」をやっている先生は、
その授業の本質を見抜く力があります。
そのの授業を観ればそれが「一斉授業の延長」にしか過ぎない
ことが分かることでしょう。
 
でも、それを指摘しても前には進みません。
ですから、
「子どもがあれだけ関わり合えるならどの教科でもいけるんじゃない?」
と話の方向性を変えていきました。
 
ただ救われたのは、その後の話し合いで、
やはり低学年のうちから友達と関わり合うことを身につけてきて
欲しい。高学年ではそれが広がりを持てるようにしていきたいという
方向性に話が広がっていったことです。
基本的にその話は間違っています。
ですが、「低学年では学び合いは難しい」だから「無理」という
全体の流れが変わってきていることを感じます。
 
最後に、以下のことを話して授業研究会を終わりました。
 
「子どもは有能です。無能だと思って育てるのと有能だと思って育てるのでは全く違う子どもが育つでしょう。そして、その責任は私たち教師です。」