「一人も切らない」について    また

http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080928/1222606386

堂々巡りの議論はするつもりはありませんが一つだけ。
私は義務教育の立場ですが、「高校にさえ行けない子ども」を
知っています。やもえなく養護学校に行っている子どもたちです。
十分に社会性がある子どもたちです。
 
先日も、中学校に進学した子どもがやってきて、小学校の校庭で一人
野球をやっていました。
「どうしたの? 部活は?」と尋ねると、
「おれ、馬鹿だから、先生は馬鹿では野球が出来ないから入れられなっいって。」
頭に血が上るのをやっとこ押さえて、ニッコリ笑って
「もう一度、お願いしてごらん。」って言うのが精一杯でした。
その子は高校に行っても十分に生きていける能力を持ち合わせています。
 
私は高等学校でも人との関わりを持てるように、そうした子どもが高校には行けてないという現実を知り、学力はかなり低くとも、そうした子どもでも迎えてもらえるような、学校・教師を求めます。
 
 
 
話を変えます。
「どうにもできない子」というのは現実に存在します。
学校低学年などには「鏡文字」でしか文字を認識できない子もいます。
細かいことはよく分かりませんが、脳の局部的な未熟さや障害のために
認識ができないという子どもが全国には万単位でいることでしょう。

「学び合い」の考えでいうなら、どの子どもも一つ一つ全てが出来る必要など無いのではないでしょうか。
学級集団が全体で目標に向かって行くことが大事であると考えます。一つ一つを細かくに見ていくと、局所的に「矛盾」することがかなり発生してきます。
 
うちのクラスのその子どもは、確かに算数はできませんが、他の教科では目標を到達できることがたくさんあります。ですから「みんなで高めて行こうね」となります。もちろん具体的な目標も必要になるから、「〜をみんなできるようにしようね」とは言うこともあるでしょう。
 
「できない」ことに悩むクラスはなく、それぞれの「できること」を認め合えるクラスの方が居心地いいですよね。
 
 
最後に。「子どもを切る」教師は私も「絶対に」許せません。