「課題設定」と「学び合い」

よく「学び合い」は課題設定が難しいと言います。
 
課題によって、複雑な「学び合い」になったり、
単純な「学び合い」になったりします。
 
複雑・単純というのは1時間あたりに関わ合う子どもの頻度とレベル差・情報の流れる方向性です。
 
よくない課題は2つ考えられます。
一つは単純に「おもしろくない」から。
「おもしろい」というのは目を引く教材が、ということではありません。
子どもにとって「学び合う」価値のあるものであるか、ないかということです。
 
もう一つは、課題が「曖昧」であること。
よく算数にありがちな罠です。
問題の答えを求めるようにする課題を立てておきながら、教師は答えを見つける「方法」を求めていることがあります。
 
2番目の点については、「経験」がそれを埋めてくれることでしょう。
 
問題は一つ目です。
「学び合う」ことに、釣り合いのとれる課題を提供してやるということです。それは1時間でも10時間でも、1学期間でも、1年間でも、その子どもたちが「どんな素敵な力を持ちえるか」をイメージすることが大事だと思っています。これなく、目先の「問題を解く」ことは、いつか「学び合い」にマンネリ化と停滞を引き起こしていきます。
ですから、暑苦しいくらい日本の未来像や学校の未来像を同僚と語り合うべきだと思います。
 
ね。S先生。