みんなでできるようにする 4

下位児童のことを例に出したことが誤解につながっているかもしれません。でも出したついでなのでもう少し書きます。
 
確かに教師にその子どもが「出来ない」と言える根拠は何一つありません。
できるようになるかもしれないし、いずれできるようになるかもしれないし、ひょとすると一生できないかもしれません。
 
小学校のすべての学習内容で「みんなができる」を求めれば、どうなるか小学校の先生は想像がつくことでしょう。折り合いを付けてやらなければ、それはどんどん破綻していきます。「学び合い」をしている多くの先生が折り合いを、さじ加減をしながら授業していることでしょう。
  
私は「みんなができるようにする」も大事だと思っています。しかし、すべてにその枠をはめ込めば、いずれ行き詰まって行くことも想像できます。それよりもそれぞれのよさを引き出す方に力を注ぐべきだと思っています。
 
うちのクラスには、一桁のたし算の苦手な子がいます。でも、その子を駄目だとは少しも思いません。
ひらながなうまく書けない子もいます。友達ともうまく話が出来ません。
でもその子が全く駄目だと思ってはいません。
 
「みんなで」の中にはその子らが生き生きと学べる姿があるからです。