[授業のこと]課題は簡単なほどよいということ

1学期に見たある中学校の国語の授業では、教師が課題に対する思いが強いために、そこまでにたどり着くのに授業の半分を使っていました。当然、生徒は「頑張って」授業をしていました。指導案を見るとその授業のねらいが分かりましたが、それにたどり着くために教科書には、ちゃんと「課題」が記入されています。なぜそれを使わないのでしょうか?
私たち教師は経験を積むほど課題設定にこだわります。そういう自分も自分の課題設定に酔っていました。「おいらだからこそできる課題」「自分のクラスだからできる課題」「本質をとらえた課題」等々……。ベテランになるほどこの罠にはまるのだと思います。
そんなことを考えていたときに、NHKの「グラン・ジュテ」という番組で岩下江美佳さん(東京染小紋 伝統工芸士)を取り上げていました。彼女は言います。シンプルこそがものの本質。シンプルであるからこそ、そこに描き重ねられるイメージが湧くと。
私たちの課題もシンプルな方がよいと感じます。特に我々小学校教師であれば毎時間、優れた課題設定なんて不可能です。それよりも教科書にあるシンプルな課題で「学び合い」を始め、子どもの姿や状況に合わせて課題を修正・補足していく方が私たちにとっても、子どもにとっても「楽」だと感じます。
 
上記の話をすると、「教科書のどこに書いてあるの?」と聞かれることがあります。
 
国語ですと文章の後に、算数ですと「○○さんと○○さんの考え方のちがいを説明しましょう」なんて書いてあります。理科だと単元の始めの方に、社会科だと小単元ごとに教科書に書いてあるはずです。どの課題も非常にシンプルでありつつ、求めるものも非常に深いものです。「学び合い」をされる方は、一度教科書を隅々まで読んでみることをお薦めします。