「学校」で「学び合い」をするということ

学校に「学び合い」の考え方を導入するのはとても大変なことです。
そんなの百も承知で本校に導入しました。
 
どうして?
 
自分の通う学校の子どもによい教育をさせようとすることを諦めて、
毎日挨拶する子どもを見捨てて、
ちょっと気になる学級をほっといて、
それでいてどんなに素晴らしいことを言ったとしても、
どんなに自分のクラスでよい教育をしようとも、
それは教師としての在り方ではありません。
 
私には、自分の学校をほったらかしにして市内の、県内の、全国の子どもたちを救おうなんて考えはちっともありません。そしてそんな力は私にはありません。
 
学校を基軸にしない教育など、法則化のように「マニアック」な教育の一つとして認識され、どんなによい実践だと宣伝しようが、結果をたたき出そうが、やがて忌み嫌われる存在にようになることでしょう。
 
同僚の先生にも時には突っかかります。時には諦めます。でもまた語りかけます。それは「したたかさ」ではなく、同僚としてのつながりを求めます。
 
今日は、年配の講師の先生と若い講師の先生と「学び合い」について語りました。そして1年生の可能性を語りました。
 
「みんなでよい学校にしようとする」
 
これが「学び合い」でしょ?