なぜ子どもは「学び合い」支持するのか?

「みんなのために」
 
果たしてこれは子どもたちの本心でしょうか?
人のために自己犠牲になれるのは家族と宗教のみだと私は考えます。
子ども同志は家族でありませんし、ましてや教育が宗教であってはなりません。
 
では、なぜ子どもは「学び合い」を支持するのか?
子どもはもっと利己的に動いていると考えます。
子どもを見ていて2つ考えられます。
 
一つはドーパミンによる快感、もう一つは有能感という報酬です。
 
教師の一方向的な情報の伝達に「分かった!」はありません。子どもの「分かった!」という顔は快楽の何者でもありません。おそらく強烈なアハ体験でのでしょう。この快感を知っているからこそ、子どもは支持するのだと思います。
 
また、子どもは教師に褒められることを求めます。しかし「学び合い」では、それが学級の「みんな」になります。一教師がどんなに頑張っても褒められることは限りがあります。「分かった!」という友達を通して、それを「分からせた」自分の有能感にあふれます。
 
「明るく楽しく学ぼう会」のメンバーには、この2つのことを徹底して味わわせます。「こんな馬鹿な奴らとはおれは勉強したくねーー」とほえていた子は、「おれに何でもきいちゃって!」って下級生に優しく声をかけてくれるようになりました。そして、中止になった日は「今日はやらねーのぉ〜?」と口をとんがらせて帰ります。
 
「みんなのために」これを強調することは大事だと私も思います。
しかし、それを通して快感と有能感を持たせていかないと
子どもの心はきっと折れていくと私は思います。