エントロピーの増大

「学び合い」と対極になるのが法則化だと勝手に思っています。法則化はtossを作り、人と人とのネットワークの構築と情報の集積を始めました。
当初の志は高かったのかもしれません。そして、tossを基盤にして、それぞれの先生が広げようと努力してきました。しかし、教師をレベリングしたり、エセ科学に執着したりと私個人としては非常に嫌悪感を持っています。事実、法則化による荒れの立て直しに非常に苦労したことを思い出します。
 
法則化の先生は「荒れ」の原因は、法則化運動にあるのではなく、その教師の問題なのだと言うことでしょう。
 
これを今後の「学び合い」に置き換えます。いずれ同じようなことを言われるようになることでしょう。嫌悪感を持って。そして正義の名の下に「私があのクラスを立て直した」と。
 
今の現状は法則化が広がっている時に似ているのではないだろうかと感じています。私たちは「学び合い」が「真の教育」だと思っています。でも法則化の先生も同じように「真の教育」だと思っています。
 
ネットワークやセミナーによる広がりの危険はここにあります。だから私は「福島の会」の立ち上げに慎重になり、そして「学校」を基盤にして、子どもや保護者とじっくり構える覚悟を決めました。
 
「学び合い」の運動も一歩間違うと、取り返しの付かないようなものになってしまうことを恐れます。