「学び合い」は広がらない

と書くと、「とんでもない奴だ」と思われるでしょうね。でも書きます。
 
残念ながら現状では一定の広がり(おそらく数%)以上に「学び合い」は、広がらないと私は考えます。なぜなら「学び合い」のような考え方がいかに広がりにくいかをこの10年見続けているからです。最初は食いつきます。だって「目新しい」からです。講演会で話を聞きます。「なるほどそうだ!」と思います。でも実際に現場に立ってやってみるとそれがいかに難しいことか分かります。やっているうちにだんだん心の炎が弱くなっていきます。根っこを理解するに至る人は1割程度です。よくて2割です。「学びの会」の限界がここにあると考えています。
 
また社会は「学び合い」のような授業を望んでいるわけではありません。(もちろんそれは過ちなのですが) 少なくとも社会人の8割は「学校では教師がちゃんと分かりやすく教えてくれ」と望んでいることでしょう。
そこをひっくり返そうとすると、相当な力がないと軋轢が生まれます。ここに関してはネットのつながりでは解決来ません。
 
そして、教育行政です。「学び合い」に寛容な教育委員会はそう多くはありません。(もちろんそれも勘違いなのですが) 授業にまとめがない、授業のめあてを黒板に書かない、困っている子どもに手をさしのべないひどい教師ですね。こう言われ、評価されることを教師は恐れます。
 
この3つをかいくぐって「学び合い」を実践できる教師は限られています。だから「学び合い」は広がりにくいのです。
 
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20090902
 
私は「次の一手」は何なのか、その答えを「学校」に求めました。研修主任としての言葉かけ、研修会、何度もの授業実践、数十枚のお便り、こうした取り組みをしても容易ではありませんし、時間が掛かります。私は学校が変わるのに5年と見ています。でも、これも「次の一手」と言えるほど大きな力はないですし、時間もかかります。そして無限に「地味」です。
 
「学び合い」が社会の中で成立するのは、エレン・ケイの思想が北欧で実現しつつあるようにあるいは100年後かもしれません。でも私はそれでもよいと考えています。とにかくそうした考えと実践を発信することが大事なのですから。それがないと「100年後」もありません。
 
私も「次の一手」をこれからも模索していきたいと思います。が、公開を期に、他人の領域に突っ込むような仕事から解放されたい気持ちでいっぱいです。