「できません!」

明日行われる授業研究案の検討をお願いされました。
細かなところはどうでもよいのですが、根本的な部分で「うーーん」と、
考え込んでしまいました。力のあるベテランの先生です。
おそらく、その先生の言うとおりの授業をすれば、大方満足する授業になるでしょう。その自信もあると感じました。
 
でも…、でも……
 
嫌がられることを承知で、そして慎重に、そして覚悟を決め、
「それは「学び合い」ではなく、ただの学習活動だと思います。」
当然のごとく、怒りが込み上がってくるのが分かりました。
 
「わたし「たち」は、とんたん先生のいうような授業は無理です。
私たちは「話し合って」この指導案のような展開に「決めた」のです。
上学年のような「学び合い」なんてできません。」
 
何か変な誤解があるようですが、話せる時間はありませんでした。
まあ、それならそれでいいやと思っていたのですが、
放課後になって、「さっきの話の続きを」と声をかけられたので、
もう一度、丁寧に丁寧に話をしました。
 
課題をシンプルに、
教科書にあるとおりに、
でも、子どもの姿をもとに、
子どものよさが見いだせるように、
子どもがその学習がすきになれるように、
子どもがお互いのそのよさを感じ合えるように、
 
見栄えのしない、何の仕掛けもない授業、でも子どもが楽しく
「みんなで」学び合えるような授業に……
 
大方、了解してもらえたとは思いますが分かりません。
とんたん先生の求めるものは「高すぎる」とも言われました。
 
私の求めることは、教師が子どもに「教師の指導」というレールを引かないことです。ベテランの先生にとってはある意味「高すぎる」目標なのかもしれません。
 
とはいえ、ちゃんと話を戻してくれ、もう一度話を聞いてくれた授業の先生に感謝しています。私が逆の立場だったら、暴れていたかもしれませんね。大人の対応に感謝しています。
 
良い授業になることを、子どもとって良い授業になることを、そして、それがずっと続いていくことを願ってやみません。