まあ、そんなもんでしょ!

今日は、本校で先頭を切って「学び合い」の授業を行いました。
 
多くの先生は授業で「個」を見ます。そして粗を探します。
突っ込みどころをです。「学び合い」を否定するためです。
 
「教えなくていいはずがない」
「ほら、やっぱりね!」
 
こういうための「粗」を全力で探します。
そして、自分の授業を肯定します。
「やっぱり、こうじゃなくちゃ」って。
でも、そんな授業では多くの子どもの目が死んでいます。
肩に力が入っています。子どもは我慢しています。
 
 
「学び合い」は残酷です。
普通の授業で自分を理解してくれていると思う、
物わかりのとてもよい、
言いたいことを先回りして話してくれる
そんな子どもが「あの先生の授業だめなのよね」っと
見下します。でも賢い子どもはそれを見せません。
  
教職について10年たって授業の見方ができない教師は、
それを誰とも話したことのない教師は、
それを誰も教えてくれなかった教師は、
かわいそうです。授業をみる「楽しさ」を知らないのです。
 
まあ、そんなもんでしょ!
 
分かる人に分かればいいんです。
誰にでも分からせようとすると「面倒」が起こります。
ただただ、分かる人と楽しく授業を語り合うそれだけです。
 
 
追記です。
 
「じゃあ、どうみればいいのよ?」
 
「全体」をです。全体の雰囲気をです。「感覚」です。
「オーラ」です。だから普通とは全く別の所を見ています。
「声」じゃなくて「音」を聞いています。
佐藤学さんが授業を見る姿を見て、私も学びました。
  
これで、今どのような情報の流れになっているのかが把握できます。
情報の流れが滞っていたら、つなげるか、断ち切って、再確認するか
どちらかが必要だということです。
この見極めができないと「やらせっぱなし」の「学び合い」になっている可能性が高いと思います。