悪気はないのでしょうが

評価制度の件で管理職と3名でいろいろ話し合いをしました。
授業について。
 
「もっと物を準備して子どもが分かりやすいようにするといいですね。」
 
「学び合い」について公開するならばせめて本の2〜3冊は読んでから、
話を切り出すべきだと思います。
何にも予備知識を持たずに、評価することがどれだけいい加減か知るべきです。
教師の「姿」を追っているのなら、「学び合い」を追い求めるべきではありません。
 
事後研究会で、子どもを入れて話しをすれば簡単です。
 
『「火災に備えるために」の学習で、先生がいろいろ準備して君たちにいろいろ示せばもっといい学習になるでしょうか?』
と聞けば、
 
『そんなの自分で見つけるのが勉強でしょう。』
『先生に準備されてもその事は分かるけど、それで終わっちゃうでしょう』
『先生の思うとおりに勉強したくなんてありませんね』
 
そううちのクラスの子どもは答えるでしょう。
見えていないのは、誰でしょう。
まあ、悪気はないのでしょうが。
 
過去の自分の数十時間かけた教材をひけらかしても、何にもなりません。
私は、研究校時代のそれを捨てました。
物を準備し、子どもがさも動いているような授業は理科でしたら
いつでも出来ます。しかもそれなりに高いレベルで。
でも、一切捨てました。
 
捨てることによって授業がこんなに楽しくなりました。
そして、教師の小賢しい学習よりも、もっと高いレベルで学
習できていると自慢できます。