先生これで合ってるの>「はい、よく分かりましたね」

「学び合い」で子どもに「すべて」を要求してしまうことがあります。
答えもその一つ。
「先生は教えません。答えも教えません。合ってるかどうかも教えません。」
 
でも 
「合っているかどうか分からない」
この検証に時間を費やすなら私は
「すごい。よく分かったねー」と声をかけます。
場合によっては子どもに近づいて、「いいこと言うね〜」と
声をかけます。
 
じっと見ていることが教師の役割ではないと思っています。
「学び合い」の感傷に浸るならそれでもよいでしょうが
私は「もっと」を要求します。
 
それでは数学的に考える力が育たないのでは?
 
子どもたちで証明しきれないなら、ぐだぐだになる前に
切り上げさせることも教師の判断でしょう。
 
これは算数だけでなく国語の説明文なども同じだと思います。