授業で何をしたいのか?

私は目標としての「みんな」を子どもたちにはあまり求めたいとは思ってはいません。
 
「個としての自立」を授業を通して、促せればよいと思っています。
そして、「探求を通しての知ること」の喜びを感じ取ってくれればよいと思いっています。そして、その為には、学び合うことが不可欠なのだと分かればよいのだと思っています。
 

レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』の一節です。
 
「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちがであう事実のひとつひとつが、やがて知識や知恵を生みだす種子だとしたら、さまざまな情緒やゆたかな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
 
子どもが知りたがるような道を切り開いてあげること。
だから「学び合い」の授業をします。
そして、願い、授業をするだけです。