「学び合い」ではない授業かもしれませんが。

ひょっとすると私のやっている授業は「学び合い」ではないかもしれません。テクニックと確かに言われればそうかもしれません。でもそれも重要だと思っています。
 
http://manabiai.g.hatena.ne.jp/jun24kawa/20080511/1210465947
 
「教科書の○○ページが全員できること(解けること)」
 
このような課題なら最初の語り程度で、子どもたちはこなすことでしょう。しかし、高度化していくにしたがって、内容が複雑になって行くに従って、子ども同士の考え方や話、行動が多様化していきます。オープンエンドの授業ならそれでもよいでしょう。しかし、次のステップに移行しようとすると、多くの先生が戸惑うのではないでしょうか。

  
S先生ともに取り組んでいる課題のレベルは
「どうしてそうなるのか理由を全員が説明できること」といったものを目指しています。
 
そうでなければ、成果は一斉授業と何か違うのと言われるだけです。おそらく、算数・数学を専門としている人から見れば、「その程度?」と見られることでしょう。(もちろんそうではないし、それは実際の授業の中身が見えていないだけでしょう) しかし、学び合いが「低学力の子も問題が解ける(80点取れる)」だけなら、教師がやり方を示して、その通りやらせればよいだけだという世の中の誤解からは抜け出せません。
 
さらに、子どもが小さければ小さいほど、やはり周りの状況を判断する力が弱いのものです。多様化、高度化した内容では、それを潤滑に促す働きかけが必要だと思っています。

テクニックという言葉は誤解を招きやすい言葉です。 異学年の学び合いにしても「テクニック」と言われればそれまでです。
私は授業の中での教師の役割を(子どもへの働きかけを)「テクニック」だとは思いません。それは子どもの声の質感を、授業のうねりを感じ取れる教師でしかできない働きかけだと思っています。