なぜ学び合いなのか2

中学生時代、学校に非常に不満を感じていました。先生から指示されることをただただやり続けることの毎日に。その不満は、新聞への投書へと駆り立てました。
 
「先生は私たちにきちんと向き合ってくれていない。学校をどうすべきか、どんな学校にしたいか私たち生徒と一緒に考えて欲しい。私たちの声を聞いて欲しい。」
 
このような内容を投書したことを覚えています。地元新聞で特殊な名字ですから、私だとバレバレです。おそらく気がついたに違いありません。でもその願いは、全く無視されたままでした。投書したことさえ黙殺されていました。

そして上のような全く言葉を前年度の6年生から聞きました。校内研修会での「訴え」です。

「先生は分かる子だけ指している。」
「私たちは、先生が対等の立場で授業してくれることを願っている。」
「先生は、私たちが分かっていないことが分かっていない。」
 
学び合いで授業している子は、いかにこれまでの授業が一方的かを指摘してくれています。
こうした子どもの声を拾って受け止められるようになりたいと願い、自分は教師になりたかったのだと思い出しました。そう考えてみるとあまりに学校は「不自由」です。子どもの自立や個性を伸ばすような環境とはほど遠い。せめて授業くらいは子どもが伸び伸びと学べる環境を作らなければ。学び合いはそれを可能にしてくれる授業です。そして「成熟した学び合い」ができる学校は、子どもから学んだ教師が、よりよい学校環境を創り上げられるようになることを信じております。