教科担任制3ヶ月の振り返り その3

なぜ小学校での学級担任制を増やしたほうがよいのか? 今回は別の視点から切り込みます。
 
僕らの世代が採用された時代、平成4年ごろは市内の大規模校は児童数が軒並み1000人ほどおりました。当時は40人学級(現在の福島県は33人が最大人数です)したが、学年は4〜5クラスが普通でした。僕が新採用となり配属された3年生には50歳の女性主任を筆頭に50代女性、40代女性、30代女性、そして僕です。その中には力のある先生も僕みたいな力のない先生もいましたが、学年はたいして問題もなく、崩壊することもなく運営されていきました。その学年は4年間持つことになりましたが、5年生からは4クラスになり、クラスの児童は40人。学年主任は今なら確実に学級崩壊を起こすであろう50代の女性教師でしたが、30代の男性教師、30代の女性教師が主力となり、僕や主任をカバーしながら卒業までこぎつけます。
 
今はどうでしょうか? 当時、今の勤務校は1000人ほどの学校でしたが、現在は430人ほどです。先の述べたように福島県はクラスの最大数が33人(1〜2年生は30人)ですが、それでも3クラスはほぼ姿を消し、2クラスが主流になりつつあります。かつて中規模校であったところは、今は単学級になりつつあります。福島県で最大の都市ですら、このような状況になってきているのですから、田舎の方はさらに状況は過酷です。
 
そうなると、学年は一人か二人が主流になります。そうなると学級経営に耐えらない人がいてもカバーする人が学年にいないのです。経営力のなさが、そのまま学級に影響してしまうのです。「経営力」と言いましたが、その根幹は実は「授業」です。先日学活の授業を見ていた時に「なぜ授業できちんと話がきけないのか?」という話し合いになり、ある子は「だって話がつまんないんだもん」と吐き捨てるように言っていたように、「つまらない」のを6時間も続くのですから、それが体に出てきて当たり前なのです。そうした子どもに「つまんないと思ってもちゃんと話を聞かなければダメ」なんて説教しても何にもならないのです。
 
こうした少子化が進んでいく中では、子どもは授業という「孤独」で「退屈」な世界から抜け出せなくなる可能性が高くなります。3〜4クラスもあれば、学年でさまざまな先生が指導にあたり、担任とは相性が悪くても、別の先生とじゃれあうことで孤独と退屈を解消できたのに、もう毎日毎時間、相性のあわない先生と一緒なのです。
 
僕だって子どもとの相性があります。僕みたいは変人を好む子どももいれば、僕とは正反対に優しく丁寧に声をかけてもらいたい子どもだっています。ですから、子どもには教師もまた多様であった方がいいのです。
 
僕の今の役割は、通常の学級では取り残されていくような子や個性がめちゃめちゃ強くてトラブルを起こしやすい子どもとか、そういうスペシャルな子どもを僕の算数を通して、満足感を与えていくことなのです。