子どもっぽさ

先日、中学校の公開を参観しました。
授業は少し賑やかな男の子たちの理科の授業。
でも授業をされた先生は、うまく子どもの言葉を捉え、つなぎ合わせ、そして無視(これも大事ね)しながら、授業をうまく紡いでいきました。授業の手法としては色々と課題はあったかもしれませんけど、僕は中学校でもこうした柔らかな授業をされる方もいらっしゃるんだなと正直びっくりしました。上記の賑やかな生徒たちは、終盤には実験の結果にすっかり心を奪われ、どんどん集中していく様子が分かりました。
 
また、授業の振り返りはkj法で振り返るというものでしたが、そうした授業の中身よりも小中学校連携として、最近の子どもの変化について話題がのぼりました。ある家庭科の先生は「子どもの声の質が以前よりも甲高くなってきている」「ちょっとしたことでキンキンした声が聞こえる」「休み時間の生徒の声が違う」と言います。僕も同じようなことを感じていたので、そうした話題で盛り上がりました。
 
僕もよく自分のクラスの子どもに「その声で勉強しているのは学習の質が低い証拠だよ。」と授業を止めて言葉をかけます。実際に子どものやっている授業の質は低いのです。次期学習指導要領に向けて「アクティブラーニング」という言葉が出てきていますが、児童生徒に学習を落としていくというのは、簡単ではありません。児童や生徒が学習の課題をより深めようとする自立した力がないと子どもは途端に弾けていきます。その指標となるのが子どもの声の質感です。
 
そして学習だけではなく、生活全体でもそうした子どもの成長の度合いは「声」で確かめられます。柔らかな人間関係を構築できてる子どもはキンキンした声を発しません。逆の場合、つまり子どもの成長が低い場合は、言葉のトーンがとげとげしくなり、聞いていて不愉快な感覚を受けます。特に笑い声。この感覚は多くの人が分かると思います。こうした子どもの声は子どもの体の中心から発せられる「極めて利己的な」ベクトルを持っています。
 
小学校でもこうした声が多くなってきているように思えます。その小学生が中学生になるのですから、中学校の先生の苦労も絶えないことでしょう。始めに紹介した理科の授業も、もっと子どもが成長した姿があれば、子どもを主体としたもっと高度な課題設定も可能となったことでしょう。僕はこの1〜2年それを僕の「感覚」ではなく、もっとはっきりと表に出せる方法がないか模索しています。