インフレーション

ヒットした映画は、しばしシリーズ化されます。◯◯◯2と◯◯◯3といかいうように。そして、どんどん過激になっていきます。例えばアイアンマン3なんて、アーマードスーツが10体以上でてきて、最後には大合戦です。このように「どんどん派手に、過激に、そして大量に」作られていきます。しかし、ヒットした映画でシリーズ化され、うまくいった例はほとありません。(僕はターミネーター2くらいしかないんじゃないかと思うけど)
 
教育界も実はどんどんインフレーション化しています。教師の多忙化というけど、実は事務処理とか、文書処理の量が問題ではないのです。このインフレーション化が実は最も教師を多忙化させているのです。でもここには「有能な教師とは何か?」という価値観がもろもろ絡んでくるから厄介です。
 
一昔前なら、子どもが1年間学校に休まないで来たからといって、特に何もしませんでしたし、せいぜい、修了式の日に「1日も休まなかったね。えらかったね!」くらいだったと思います。それが、1年間休まないで来たことで、「皆勤賞」の賞状が配られるようになり、今では学期ごとに皆勤賞が配られます。実は「この先」には子どもだけではなく、保護者も見据えています。
 
また校外活動、例えば町探検などに出かけた時も探検したお店ごとに立派な子どものメッセージ集を「訪問したお店すべて」に作成して配っています。おそらく、訪問したと同じくらいの時間がこのお礼メッセージに費やされています。本来の勉強はそっちのけでね。このように学校の教育活動の一つ一つがすべて地域や保護者に向けられるようになり、教育活動の肥大化、つまりインフレーション化が起こっています。そのための準備、対応に教師は追われているのです。
 
これは、中学校であればまさに部活動対応になります。子どもを素晴らしい結果に導くため、土日も、放課後遅くまで指導してくれる教師が求められていきます。
 
そしてこのインフレーション化は学びそのものを弱体化していきます。インフレーションしても活動時間には限りがありますから、薄くなるだけなのです。
 
厄介なのは、優秀な教師とは何か?という見方です。インフレーション=教師のがんばり(優秀さ)と思われているから、どんどん余剰なサービス体制だけがクローズアップされていきます。子どもを成長されることに直結しないようなことまで丁寧に時間をかけるようになったことが、教師の多忙化の主な原因なのです。