みんなが天才じゃなくてもいいんじゃない?
今日は理科の授業研究会で私の授業・クラスが公開となりました。
特に特別な授業をすることも、特別な準備もなく、日常的なことを日常的に行いました。
ただ、こうした日常を繰り返してきた2ヶ月間の集積を僕自身が観てみた方ので、授業をすることに立候補してみました。
これは子どもたちにも、同じことを話していて、「先生も君たちがどれくらい成長してきたのか観てみたいんだよね〜」と。もちろん、こう言えるのは、この2ヶ月間の子どもの育ちが見えているからです。ですから授業を公開しても、多くの先生方が子どもたちの学びをみて、驚くのも予測がつきます。
ですから、事後検討会でも、子どもたちの課題に向かう姿勢や学び合いの姿を褒める意見がほとんどで、厳しい意見は出てきませんでした。ただ、その中でちょっと気になったのは、「難しい課題だったので多くの子どもが迷っていたけどそれでよかったのか?」というような質問がありました。僕は次のように答えました。
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僕は一人でも答えを導ける子どもが出れば、それをシェアして子どもたちに広がればいいし、仮に誰一人分からなかったら、僕が教えればいい。ただそれだけのこと。何でも出来る子どもなんていなくて、その時間、その時間にふと思いつく子どもがいればいいと思うんです。誰かすてきなことを言えば、その子どもがその時間、周りの子どもに取ってヒーローであるし、次の時間には次の時間のすてきな学びがあればいい。もし、自分がその日活躍出来る時間や場がなかったら次の日を大事にすればいい。その連続が学校であり、それを認め、支え、褒めて上げる子ども集団が学級なのです。
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今日いいことに気がついた子どもは教室に戻っても、理科の話の続きをします。そうした学びの連続の中に、子どもの成長が生まれてくるのです。その成長とは、自分の成長をとして自分を見つめ他者を自分と同じように大事にできる姿です。
僕のクラスはまだまだ足りない。でも確実にこの2ヶ月間の成長を、その大きな変化を、僕はしっかりと受け止めることが出来ました。
やっぱり、授業公開は面白い。立候補してよかった。だって子どもが成長するんですもの。