最も恐れなくてはいけないこと

僕は学校が荒れるよりももっと怖い状態があります。それは「無味無臭」です。多くの学校が特色のある教育を推進しようという声とは裏腹にどんどん学校そのものが無味無臭になっているような気がします。
 
それはファストフードの食事のようなもので、多くの人の口に合うような味付けで、サービスを均質化し、そしてクレームが出ないようなサービス体制です。僕が良く言う「最大公約数」の学校です。教育とは「人」であり、人の「意識」の集合体が「学校」なのです。ですから、学校には教師の多様性が確保されているが大事なのです。しかし、最近ではシステムの統一、指導の統一、内容の統一などなど、どんどん均質化していきます。しかし、その均質化と引き換えに、教師の持つ特性や持ち味は失われていきます。また、子どもも、保護者も顧客へとその立場を変え、評価者になってしまいます。
 
これは学校の静かな死につながっていくのではないかとふと不安になります。学校がシステマチックになることで、学校はサービス産業に(それはまるで塾のように)落ちていきます。均質な味が提供される代わりに、特別な味もないそんなお店です。

逆に荒れている学校は、まずいのが分かっているので、大胆な手が打てます。ですから学校が変化するのも早い。しかし、無味無臭な学校は、その欠点も特性も見えにくいので、手をつけにくいのです。
 
僕らはどんなお店でどんな料理を提供すればよいのでしょうか?