嫉妬するということ

「女は幸せに嫉妬し、男は成功に嫉妬する」

柴門ふみの「なぜ、バカボンのママは美人なのか」の一説です。
「なるほどね」と思う言葉です。実のところ、僕も人の成功や実践に嫉妬しなくても平気になったのはここ数年程度のことです。同じ土俵に立つのであれば、自分の実践はより輝きのあるものでありたいし、他者が絶賛されればそれよりももっと自分は上の実践をしたいとおもうものです。時にそれは人を苦しめることでしょう。
 
僕がそうした呪縛から離れることができたと思うのは、年齢とともに自分がやれることの限界が見えてきたし、世の中の仕組みがおぼろげに見えてきたことにもあります。もちろん、僕はまだ授業の実践家として、ブレクスルーを作っていくであろうし、毎年進化していくことでしょう。でも、同時に自分の出来ることと出来ないこともまた、明確になってきています。出来ないことは、できないんですね。
 
ただ、これが悲しいことかというと、僕には僕という限界があるからこそ、僕にしか出来ないこともまた見えてきます。ですから、自分の出来ることをこれからやっていけばいい、つまり天命が見えつつあるということなんです。
 
こうした話を若い先生が読むと、なんか分けの分からない話に思えることでしょうね。僕は若い先生は、もっと嫉妬深く、熱っぽく、そして傲慢であって欲しいと思います。そのくらいの熱意が、大きなブレイクスルーを作り、そして新しい世界を切り開くのだと思っています。最初から薄っぺらい情報を鵜呑みにして、分かったようなことをいう若者はその後伸びないんじゃないかしら。
 
僕は誰の実践でも「なるほどね!」と思えるし、素直に「分からない」って言えるようになってきました。同時にどんな人の実践でも自分の実践に組み入れられる自信もあります。何がその実践の核なのかを見極めることができるようになってきたからです。そうした達観した見方が出来るのは僕が他者の成功に嫉妬し、妬み、そして馬鹿で、熱っぽく取り組んできた若い自分がいるからなんだと思います。