テストとは何か

僕はこれまでかなりNRTの数値にこだわってきました。
 
というのも僕の授業は型破りなので、どんなに子どもの姿が良くても、数値として表さないと保護者にも周りの教師にも理解されないからです。もちろん、テストでよい成績を叩き出すというのは子どもにとっても「良いことのように思えます」ものね。これまでの学年では有意義な数値を結果として叩き出してきました。知能平均からNRTが10ポイントほど上回るという、ほぼ全員オーバーアチーバーまで持っていったこともあります。
 
しかし、なんだか馬鹿らしくなってきました。僕が育てたい賢さとはこんなことじゃないですものね。Facebookでも書き込んだのですが、最近のNRTは馬鹿みたいなスピードで問題を解く「テクニック」がなければなりません。こうなると子どもの知能が強く反映されたり、塾などで同じような問題を数多く解くことが正答率を上げることになります。でもこんなことができる子どもを僕は育てたいとは思えません。
 
もう一つ、これはとても大事なことなのですが、「学習の質が高い=テストの得点が高い」とは言えないということなのです。例えば理科。実験を単純化し、テストの通りに実験し、テストの回答と同じような答えをまとめれば、テストの得点は高くなります。
 
でもね、
疑問を解決するために実験方法を考える
実験の手順を考える
実験の準備をする
実験のデータをとる
実験のデーターを比較・分析する
実験で分かったことを整理する
実験で分かったことをまとめる
 
これらの複雑なプロセスを整理するというのはとても大変なことなんです。
しかも、こうした一連の流れにはテストにはでない「ノイズ」が大量に含まれます。
でもこのノイズの部分にこそ、学びの本質が隠れていることもあります。
 
テストで100点が取れるような授業が本当によい授業なのか?(もちろん100点をとるにこしたことはないのだけど) ひょっとすると僕は、NRTのようなくだらないもののために授業の大事な部分を削ってきてしまったのではないかと考えるようになってきています。
 
僕にとってのテストとは「子どもが自分の知識の穴を発見して、それを補修もの」です。テストで成績の良い得点をとることが目的ではないのです。
 
そうはいっても、日本の教育では「テスト=理解度=子どもの学習状況」になってしまっています。全国学力テストでさえ本来の目的を離れ、終わりのない都道府県競争の格好の材料と成り下がってしまっています。これを変えていくことは容易ではないですよね。でも、僕は少し、舵を切りたいと思っています。