学校の商業化がもたらしたもの

少なくとも僕が教師になってからどんどん学校は商業化してきました。
 
その顧客は子どもなのではなく保護者となっています。
ですから全ては保護者の満足を基準に学校の運営がなされます。
これは一見、正しいことのように思えるかもしれません。
しかし、このために現場では、子どもの考えや行動が最優先させるのではなく
保護者に向けての見た目の良さや分かりやすさが最優先されるようになりました。
 
ですから多くの教師にとって「授業参観」は苦痛なのです。自分のサービスを保護者に評価されるのですから。そのために膨大な時間をかけて教室の掲示をしたり、「その授業」のために何時間もかけて授業準備をしたりすることになります。
 
これは幼稚園や中学校のも同じで、夜遅くまで「見栄え」のために教諭手作りの飾り付けをする、保護者の要求に応じて土日も部活動をするなどということが「サービス」(満足度)として提供されているのです。
 
僕はこうしたことが全てだめだと言いたい訳ではありません。しかし、こうしたことが子どもたちの考えや話し合い、そして行動の先にあるものかどうかが大事なのです。毎日の授業に時間をかけない(かける時間がない)のに、そこだけ繕っても仕方がありません。
 
また、今の学校はファストフードのお店のようなものです。
どこでも同じサービス、同じ味、同じような接客。公的な教育であるのであれば、こうした公平性がとてもよいように思えます。でも教育は「毎日」なのです。どんなにサービスの水準が高かろうとも、毎日の食事をファストフードですましたいと思う人はどれだけいるでしょうか? 何度も、何時間でもそのお店にいたいと感じさせるのは、その場にいることが容認され、その人の合ったサービスが受けられるような場合です。今の学校がそうなっているでしょうか。
 
保護者は学校や教師の評価者だけでなく、学校教育そのものに参加していく必要があると僕は考えます。そして学校は真の意味で保護者に開かれたものへと変化していかなければならないのです。それは子どもにも、教師にも、そして保護者にも利益になることなのです。
 
学校はどんどんサービス産業化してきています。今後、さらにこうした傾向は進んでいくことでしょう。現在の学校はその大きな流れの中にあるし、保護者のそうしたニーズもあります。では、どうしようもないのでしょうか? 僕はそう思いません。その突破口は一人一人の教師の中にあるんです。変革というのは教師一人一人の意識の変化から生まれていくものなのです。ゆっくりとね。
 
「自分のできることを、自分の出来る範囲でしっかりと行うこと」これが僕の答えです。