技術と方法

多くの教師は「方法」や「技術」を学び、取り入れようとします。しかし、そうしたものはすぐに消費されてしまいます。そうした技術や方法がうまく行くのは、その技術や方法が優れているからではなく、そうした方法を生み出すような教師だからうまくいくのです。
 
若い時には、さまざまな技術や方法を取り入れ、実践してみることは僕はとてもよいことでしょう。でもいずれそこには限界があるということを知らなければなりません。Bestな方法なんて実は幻なのです。
 
そういうと「さまざまな方法を取り入れて」という人もいるでしょう。でもそのミックスジュースは大抵調合が悪く、まずい飲み物になります。技術や方法を調和させるというのはとてつもなく難しいのです。
 
また、ある方法でうまく言ったベテランの教師は、若い先生にその成功体験を押し付けようとします。でもその若い先生は、その先生自身ではないので、同じことをやってもうまくいくとは限りません。ベテランの先生が技術や方法をアドバイスするのは危険でもあるのです。
 
これは子どもも同じなのですが、方法や技術、そして内容は、異差があると学び合いにくいのです。得意げな、一方的な伝達となっていて実は深く学ぶことはありません。
 
異差があっても学び合えるのは「姿」なのです。そしてこれは子どももまた同じなのです。