教育の変革

自分は教育のために何が出来るのだろう?
 
僕のようなちっぽけな人間がどれほど背伸びしても、人に与える影響なんてちっぽけなものです。ほぼ0といえるでしょう。僕が若い頃はもっと人に求められたいとか、人に話を聞いてもらいたいとか、人にすごいと認めてもらいたいとか、そんな野心も、下心も漠然と持っていたものですが、だんだん自分という人間の限界が見えてくると、不思議とそんなことどうでもいいように感じてくるものです。
 
もちろん、若い先生はこうしたギラギラした野心を持って突き進むとよいことでしょう。それが若さですから。でもどんな教師でも、その自分の限界は自ずと訪れ、自分を見直す時期がやってきます。僕は40歳が見え始めた頃から、自分の実践に迷いはなくなってきました。自分の出来ることがはっきりしてきたからです。そして50歳に向けて自分の天命を考えるようになってきました。
 
ただ、どう考えても、僕のできることはあまりに小さく、そして限定的です。そうした苦しみや悩みがこの2〜3年僕を支配していました。しかし、この40代半ばになってだんだん自分がやらなくてはならないことが見えてきたような気がします。
 
「教師の自立」
 
僕がこうして夜な夜なブログを書くのもそのためだったんだと気がついてきしました。僕がやらなければならないことは「教育の変革を促すこと」その流れの一つとして言葉や姿、そして実践を発信して、流れをより大きなものにしていくことなんだと考えています。これは前にも書いたように僕は決して本流ではありません。でも小さな支流として僕が導ける教師と本流に沿って未来を切り開いていくことはできます。
 
今の教育の抱える問題はあまりに膨大で、とても教師には抱えきれなくなっています。毎日の「仕事」に追われ、子どもの在り方、そして子どもたちが切り開く未来を考える力はありません。ましてや教育を変革させるなんて考えている教師はほとんどいないのです。教師一人一人が分離し、管理され、そして自ら考え行動することが出来なくなっているのです。
 
でもこうした状況は、従来の教師の在り方の限界を意味します。裏を返せば教師の意識の変革の時期がやってきていると言えます。その意識の変革はこれから極めてゆっくりとやってきます。すでにそうした兆候(つまり僕のような人間がこうしてブログで発信しているように)はあちこちで感じられます。こうした流れはいずれ大きな意識の変化をもたらしていくことになります。
 
ただ、それらがはっきりと見えるためには少なくとも十年単位で時間がかかると思います。若い先生からみたらとても待ちきれるような時間ではありません。でも一人一人が考えだす、動き出すことがその流れを創っていくのです。
 
次回は自立についてもう少し詳しく書きたいと思います。