理念って厄介なもの

僕は何度か教師にとって理念が大事だと言ってきました。
ただよく考えてみると、この理念というのはとても厄介な物であると分かってきました。今日はそんな話。
 
ことわざに「あばたもえくぼ」という言葉があります。欠点も思い込みで長所に見えてしまうという意味です。時に教師はこうした思い込みで授業を観てしまいます。
 
以前、授業の事後検討会で、授業のある一部分を切り取り、その取り組みがいかに素晴らしいか、そして、その授業がどんなに素晴らしい授業なのかを絶賛する指導助言がありました。しかし、僕の目には、多くの子どもたちが学びに集中せず、何をやるのか分かりにくく、どよ〜んとした雰囲気を感じていました。全体的に観ればあまりよい授業とは言えないんじゃないかなと感じていました。
 
ところが検討会では、大絶賛(その部分は教師がたった一人の子どもへの数分の関わりに対して)が繰り広げられました。僕はすごく違和感があったのですが、その場の雰囲気で何にも発言せずに黙っていました。そしてこれらの言葉が「お世辞」なのか、それとも「本気」なのか、ずっと観察していました。どうやら本気でそう感じているということが分かりました。
 
僕は、この授業が教師の働きかけで一人の子どももあぶれることなく、進んだこと自体はとてもよいことだと考えます。でもその他の子どもたちはどうだったのでしょうか? クラスみんなが学び合うということにもっと別のアプローチができたのではないかと思います。
 
時に理念はこのように事実にバイアスをかけてしまうものなのです。
 
もちろん、この世の中に「客観的事実」なんてないことも確かです。事実や真実なんて自分の中にしかありません。しかし、ただ理念を振り回していくと、ほんの一部分しか見えないこともあるんです。全体を巨視的にとらえる力がないと、自分の大きな偏りに気がつかない可能性も出てくるのです。
 
理念は厄介なものです。「あばたもえくぼ」にになっていないでしょうか?