僕は何をやっているのか その4「方法と人間を超えて」

話しを続ける前に、どうして「学びの共同体」も『学び合い』も授業者によってゆらぎが大きいのか、その話をしたいと思います。
 
子どもの学びを主体とし、教室の子どもの話(学び)をコントロールする「学びの共同体」では、そのコントロールがうまくいきません。例えば「子どもが話し合わない」「教師の考えたように話し合いが進まない」というように。以前、NHKだったと思うのですが、神奈川県の拠点校であるH小学校の授業風景で、教師が思い通りに子どもたちを話し合いの場に乗せられず、校長が助け船を出して授業を進めるシーンがありました。その授業をしていた若い先生は後で泣いていたと思います。僕自信も理科ではうまくいける自信があるけれども、国語で自信がない、というように教科でもばらつきがありました。また同僚には、100時間近くも事前研究をしたにも関わらず、本番の授業では全く子どもたちが話し合いにならなかったこともあります。
 
拠点校でさえこうなのですから、聞きかじり程度、ちょいと授業を見聞きした程度では、安定して授業を行うことができないことでしょう。僕がそのゆらぎの原因を突き止めたのは『学び合い』に出会ってからです。なぜ理科ではうまくいく授業が国語ではうまくいかないのか、その秘密は簡単に言うと「子どもへの任せ方」にあるのだということでした。理科では子どもがどんなことを言ってもそれに対応した授業展開を自由自在に展開できる自信がありました。ですから子どもへ「任せる」ことができたのです。一方他の教科ではそれほど任せる技量がなかったので、中途半端なコントロールをしていたのです。
 
しかし『学び合い』の問題点もここに隠れていました。技術も経験もない教師がいきなり任せるとどうなるか? 始め、子どもはその自由度で自ら学び始めますが、学びの方向性や深度にも自由度が生まれます。それをコントロールしきれなくなります。また教科の到達イメージができないまま、学び合わせるのですから子どもはどんどん「楽」に流れます。これが『学び合い』の崩壊パターンです。『学び合い』ではそうした「うまくいかない」ことに対して客観的な分析することを捨て、「一人も見捨てない」という哲学的な言葉に走りました。でもこれでは一体どうすることが授業なのか説明がつかくなってしまいます。
 
ここで分かることは、子ども主体とした授業であってもその場を形成するのは教師であり、そしてその志はもちろんのこと、技術も、実践力も、教材研究0「高度に」必要であるということなのです(これは佐藤学さんも常におっしゃっていることなのだけど) だから学び合い型の授業というのは最高レベルに難しい授業なのです。(ぼくは授業というのはそうあるべきものだと思うのだけど)
 
 
さて、話を戻します。人間主義の教育と教育技術による教育は、「子どもが自ら学ぶもの」vs「教師が教えるもの」に置き換えることもできます。これはかなり以前から議論されてきたことで、学力論争につながります。時代によってその価値観が変化するので「振り子」に例えられることもあります。現在の状況を「ゆとり教育(子どもの主体的な学び)」から、「知識重視の教育」へ、と例える人もおります。
 
こうなってくると、当然のように「どちらも大事」という考えが生まれてきます。ここ5年ほどで広がってきた「教えて考えさせる」市川伸一さんの提唱している授業があります。この言葉は確か中教審で出てきた言葉だったはずですが、どうやら文科省でも「教えて考えさせる」という授業をスタンダードな授業にしていきたいという動きが見えます。本市でも市川さんが大きく関わり、いくつかの学校を基盤にして授業研究会が行われています。
 
この「教えるべきことは教えて、考えさせるべきことは考えさせて」という授業提唱は、僕が知る限り、かなり以前から附属や様々な学校でテーマにあげて実践してきたように思います。中には全教科の全単元を分解して、各内容ごとに教える内容、考えさせる内容をまとめた分厚い冊子を作っていた附属もございました(パラッとめくってめまいがしましたけど)
 
市川さんの提唱する「教えて考えさせる」は2サイクルの循環で、習得サイクルと探求サイクルがあります。おもしろいのは「予習」も組み込まれていることで、子どもの主体性も習得サイクルの中に組み入れてあることです。しかし、上で述べたように、その探究サイクルを回すのは容易ではありません。「教えて考えさせる」の授業でも、モデル授業を観てきた人が「45分の授業で35分が教師の説明だった」なんて話しを聞くこともあります。
 
「教えて考えさせる」というのは実はすごく合理的で、誰でも納得できる言葉なのですが、実際にそのサイクルを回すのは、実は容易ではないのです。おそらく文科省が推進していくであろうこのモデルも、実際に浸透させるのは相当難しいのではないかと僕は考えています。
 
さて、話しは僕に切り替わります。『学び合い』から離れ、僕はなぜ『学び合い』がうまくいったのか、そしてなぜ多くの実践者がこれを維持できないのかをずっと考えていました。答えは上記の通りなのですが、では僕は一体何をしているんだろうと考えてみました。実はこの2年近く、自分は「何をやっているのか」うまく説明が出来なかったのです。ごく簡単に言うならば「何もやっていない授業」です。でもこれでは本当に何もやっていないように感じちゃいますよね。三谷さんの「経営戦略 全史」を読んで、僕のやっている授業は、実は「アダプティブ戦略」なのだと気がついたのです。それで全てが納得し、つながったのです。(次回 たぶん最終回)