学び合い型の学習は最高レベルの授業です。

以前、僕は学び合いの授業は比較的若い先生でも簡単にできるんじゃないかと考えていました。しかし、やればやるほど、こんなに難しくて揺らぎの大きい授業を若い教師が日常的なサポート無しにできるものではないと考えるようになりました。何がそんなに難しいのかというと・・・
 
 
先日に理科の授業での子どもの会話。
「どうして空気鉄砲のたまが飛ぶの?」
「なぜなら空気が押し縮みめられて、空気がどんどん小さくなって耐えきれなくなって、ぽんとたまが出てくるの。」
これでいいのでしょうか? 何となく正解のような感じがしますよね。
 
僕は「えっと、それは理科じゃないね。理科の言葉で説明してね。」と、子どもに切り返します。そして子どもたちがまた話し合うなかで、ぴかりと光る言葉を見付けます。子どもの表情と言葉のトーン、そしてつっかえつっかえながら、たどたどしく語るダイヤの原石のような言葉を。
 
「えっとね、空気を押し縮めるの。教室にね。人がいるでしょ。でも押してもね。人の数は変わらないの。電車があるでしょ。満員電車のような感じぎゅーっとなるでしょ。最初はね。広いんだけど、それがどんどん狭くなる感じ。電車が狭くなってぎゅうぎゅうになるでしょ。そうなると、、、縮めれば縮むほど押し返す力が強くなるの。その押し返す力でたまがぽんって飛ぶの。」
 
聞いている僕がイライラするくらい、言ったり来たりする話ですが、目をつぶってじっくりと聞くうちにその子の言葉の輝きを発見します。「押し縮めれば押し縮みめるほど、押し返す力が強くなって」という言葉です。そしてその言葉を手がかりにして、子どたちの学び合いを通してその考え方を広げていきます。
 
学び合う授業というのはこうした教師の力がないと、子どもが学んでいることが分かっているのか、分かった気になっているのか、それとも分かっていないのか、判断がつきません。子どもが学び合う姿に感動しているようでは、授業をコントロールできないのです。実は学習課題なんて実はどうでもいいのです。この看取る力があればいくらでも軌道修正し、授業を深化させることができます。逆にどんな素晴らしい課題を設けても、授業を看取る力がなければすぐに授業は崩れていきます。
 
では、若い先生はどうすればいいのでしょうか? 学び合い型の授業はしない方がよいのでしょうか? 
 
そうではありません。毎日、毎日子どもの言葉に耳を傾け、同時に教材研究をしていくことが大事なのです。上記の理科の内容でしたら、ボイル・シャルルの法則くらい知っていなければ、この実験が何につながるか分からないし、子どもの言葉を正確に聞き取ることができないことでしょう。つまり授業力と教材研究は常に同時進行でなければならないということなのです。
 
「授業のあり方とは?」と語っていいのは、教材をしっかりと研究している人のみです。教材の研究が浅いのに授業のあり方を語っても、子どもの授業を看取ることはできないのですから、話は薄っぺらくなるのです。
 
今日も辛口!