学校とは?

学校の未来像について話します。
 
僕はオランダのように、学校は公立と私立が半分半分くらいの割合になることとを願っています。今のように、エリート教育がうんたらとか、進学率がうんたらとかではなくて、教育方針や学習スタイルによって親が子どもの成長に合わせて自由に学校を選べるように。だから保護者も自分の子どもの未来を考え「教育」について、より慎重に、そしてより深く学ぶことになることでしょう。そしてそれは公立であろうと、私立であろうとも学費は無料でなくてはいけないのです。
 
また、学校そのものが独自性を高め、本当の意味で「特色ある教育」を「長期間ぶれないで」実施できるようにしなければなりません。今の公立は、校長や教員が比較的短期間で移動になるので、小学校だと子どもが1年生から6年生まで先生が残っているということはとても「まれ」なのです。下手すると6年間で校長が3人も変わるなんてこともあります。その度に学校としての方針が変わったり、子どもへの関わり方が変わったりすることになります。
 
先生方は少なくとも10年はできるだけ移動しないで(先生にも人生設計があるので誰もがそうできるわけではないのだけど)、じっくりと腰を据えて授業や子どもたちと向き合う時間を作っていくことが大事にされなければならないと考えます。そうなると校内の研修制度の重要性がより増してきます。現状では転勤する度に学校の研究テーマが異なるので、どうしてもじっくりと時間をかけて研修するということが難しいのです。でも10年そこの学校で授業をするとなれば、多くの先生は「その学校の授業」について本気で学ぶことでしょう。
 
さらに、学校は真の意味で開かれた存在であることが求められます。現状で「開く」というのは「授業を公開すること」ですが、保護者とともに「教育を創っていく」という形に(それはレッジョ・エミリアのように)進化していかなければなりません。
 
この点については僕は保護者にいつも恵まれていて、ともに子どもの教育をともに創り上げていこうとする方が声を上げてくださいます。子どもの教育を学校だけに任せるのではなく、保護者も教師をバックアップしながら、自らも子どもの成長に関わっていく保護者集団。こんな保護者だったら心強いですよね。
 
そのためには法的な規制の緩和や教育行政の見直しなど、さまざまなハードルがあり、すぐには実現しないことでしょう。でもきっと僕らの世代を踏み越えて次の世代がそうした未来を実現していくと僕は予想し、願います。そのためにも僕らの世代はその一歩を踏み出していかなければならないのでしょうね。