問われること、そして答えること

僕の授業を観た多くの方からその場でたくさんの振り返りをいただきます。
その人の感じたこと、そして違和感(西脇KAIに参加してからこの言葉がブームですね)を僕は受け止めます。とりわけ違和感はとても大事な振り返りです。その問いに対してすぐに答えられるならば問題のないのですが、「う〜ん」と考えながら答えるときには、僕の中にもまだ整理されていない問題が残っているのだと考えるようにしています。
 
ですから「おかしい」「違うんじゃないの?」とおっしゃる方の言葉はとりわけ大切なものです。特に思慮深い人の言葉には僕も注意を払うようにしています。ここ数年では、東海大の芦田さんが強烈でした。でもそのやりとりの中から、ステップアップした今の自分が存在していることを感じます。ですから、あれだけ厳しい指摘を受けても、不思議と感謝しかありません。最近ですと、うちの校長先生の持つ、ちょっとした「違和感」(概ね僕の授業を理解してくれていますが)を受けてちょちょっと軌道修正をかけています。
 
これは例え若い先生の言葉でも自分の実践の突破口になるようなこともあります。酒井さんや古田さんなど若い先生の問いから、何度も僕の授業は進化してきました。ですから僕は話を聞いてくれる人の問いを大切にするようにしています。
 
だから僕も実践の違和感を問われれば丁寧に丁寧に答えようとしています。そしてうまく説明できないときには、やっぱり僕に中に整理されていない、または不足している部分があるということなのです。
 
そしてさらにおもしろいのは、子どもはもっと敏感に違和感を持っているということです。問う力は確かに未熟ですが、子どもほど授業に敏感な人はいません。当たり前ですよね。授業を受けているのは子どもたちなのですから。でもその子どもに授業のことを聞いている教師はどれほどいるでしょうか? 若い先生なんて「私の授業どう?」ってダイレクトに聞いちゃえばいいじゃないでしょうか。多くの子どもはちゃんと教えてくれると思います。