教育は人

ある若い友人の先生がfacebookにアップした内容です。

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「教育は人」だとは思う。

だけど、一方で人に頼りすぎない学校のあり方も考えていかないと、立ち行かない。だって皆が皆、そんな立派な人間ではないのだから。

教師も子どもも、もっとよくなりたいと思っている。その思いさえあれば十分なんじゃないか。なんでそれだけじゃ足りないんだろう。
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ぼくもよく教育は「人」です。ということを書きます。大事なことなのでその若い先生に許可をいただいて書きます。
 
 
 
僕は教師が必ずしも立派でなければならないとは思いません。そうであるならばぼくのような人間は真っ先に教師失格でしょうね。人間なんてそうなんでもかんでもできるわけではありませんし、多くのことを理解できるわけではありません。
 
しかし「子どもを良くしていこう」「子どもを成長させたい」という思いや願いが教師としての在り方を成長させ、そしてそこに技術が折り重なっていくのです。その教師の姿そのものが「人」なんです。
 
例えどんなに大学や書物で学習理論や実践を学んでも子どもはついてきません。子どもは何を見ているのかというと教師という人の姿を追っているのです。子どもは自分を成長させてくれる先生が好きなんです。
 
「教育は結局は人です」というとよく誤解して「そんなこと言っても技術も何もない自分はどうしようもない」とか「自分にはそんなことは無理」とか言う人がよくいるのですが、そうではなく上記の彼の言うように「もっとよくなりたい」という「人としての姿」こそが教師としての大原則なのだということなのです。
 
その点に関してはベテランの先生も、若い先生も差はありません。ベテランと言われる先生はその人としての成りに、理論や技術が積みあがっているのです。でもその基盤がしっかししてないと、授業は決してうまくいきません。
 
最後に。
誰だって「子どもを良くしたい」と思って教師になっています。でもその「良くなる」って何なのか、あなたはその答えを持っているでしょうか。若い先生はそこを徹底的に同世代の先生やベテランの先生と話し合うことをお勧めします。「思いだけ」あってもダメなのですね。